あっさりと、こんなにもあっけなく居なくなるとは思えない。

 「生きて、ますよね・・・?」

 仮にも6年間、師として仰ぎ見ていた人の強さぐらいは解る。
 でもだからと言って落ち着けない。
 アニタから告げられた凶報が頭の中で繰り返された。
 あてがわれた部屋でひとり、ソファに腰掛けて宙を見やる。
 にとってのクロスは“絶対”で、交わされる言葉はほとんどが誓いに等しい。
 クロスはできない約束をしたりしないし、だから疑う必要もない。
 誰よりも強い師匠にはそんな心配は無用の筈、なのに、それでも―
 片時も、逸る想いが安まることはなくて気を抜けば思い浮かぶのは厭なことばかりで
 矛盾しているのは解るけれど、でも叶うことなら今すぐ此処を発って江戸に向かいたい―クロスに、会いたい。

 (クロスに呆れられそうだわ)

 “信じろ”“疑うな”はクロスの専売特許とでも言うべきまさに十八番だ。
 それでもこればかりは信頼や信用の与り知れることではなくて、
 考えるほどに堂々めぐりをしてしまう想いの丈をどうにかするほどの力量などにはなくて、成す術はない。
 縋るように呼んだ声は自身にすら小さく聞こえた。
 沈み込むようにソファのクッションに体をあずけて頭の裏に溜まった気落ちを一つ追い出す。
 きし、と軋んだスプリングの音が溜息を追いかけるようにして静寂が満ち満ちた部屋に響いた。
 活けられた花々がの周りにまで薫りくる。
 まなうらに闇が落ちるまで、そう時間は掛からなかった。


 さらりと、何かが触れた気がしてゆるゆると瞼を持ち上げる。
 見慣れた団服に懐かしい手つきと雰囲気。
 が名前を呼ぶより早く、手袋をはめた手が頬にすべった。

 「久ぶりだな、半年ぶりか」
 「・・・8ヶ月、ですよ」
 「クッ・・・そうか」

 2ヶ月は長い、半年と8ヶ月では全然違うのにとそんな意味を込めて言ったのにクロスは喉を鳴らして笑うだけだ。
 のささやかな葛藤すら意に介されないのが悔しくて、けれどそれよりも会えた事が愛しくてもクロスに手を伸ばした。

 「髪、随分伸びましたね・・・あぁ、おひげも・・・少々」
 「“8ヶ月”ぶりに会って言う言葉がそれか?」
 「・・・会いたかったです」
 「ほう?」

 つい、と紅い目が楽しげに眇められる。
 満足気につりあげられた口元が額に触れた。

 「会いたかったし、話したかったし、言いたいことだって沢山」

 “あったのに”と言おうとしたのだが、それを遮るかのように赤い髪が頬に額に零れ落ちた。
 二の句はもちろん告げさせないで、面影を重ねて、想いを重ねる。
 甘く濃い刻み煙草の匂いを懐かしんだ。
 昨日までは遠かった師匠の姿が、今はここにある。

 




 






ここしばらく見ていなかったエメラルドと同じ艶やかな色だ。
相変らず良く馴染む手触りの細髪を梳く。
吐息だけで名前を呼べばまるで聞こえたように双眸を繙(ひもと)いた。

「久ぶりだな、半年ぶりか」
「・・・8ヶ月、ですよ」
「クッ・・・そうか」

顔に這わした手はそのままにして笑えば、寝ぼけ眼ながらは不満なのだろう眉を寄せてなんとも情けない顔だ。
なにがしかの不満に憮然としたまま、それでもぺたりと赤い花の咲いた手が頬に伸びてきて確かめる様に輪郭をなぞっていく。

「髪、随分伸びましたね・・・あぁ、おひげも・・・少々」
「“8ヶ月”ぶりに会って言う言葉がそれか?」
「・・・会いたかったです」
「ほう?」

重ねて咲いた右手に左手を重ねて取る。
唇を額に這わせば面映ゆそうに身じろいだ。

「会いたかったし、話したかったし、言いたいことだって沢山」

ぽつりぽつりとが言い募る声色は謀らずとも着々とクロスの思い通りに形作られていく。
上出来だと胸中のみで呟いて、落とすようにして口付けを交わす。
影を落とす睫毛すら記憶とは違わない。
目の当りにして改めての不在を退屈に思った。



ざり、と砂利を踏む2対の音が微睡んだ意識を縁側に呼んだ。

「チッ、視界にゴミが入った」
「ぁあ゛ー!!?なんっだぁーコイツちょームカつくー!!」
「ヒヒっ、生意気生意気――!!」
「無駄に語尾を伸ばすな。3割増でアホに見えるぞ」
隈どりのある男と口に縫い目のある男がギャイギャイ騒ぐ。
可愛い恋人との折角の粋な逢瀬を台無しにされたクロスは早くも殺気垂れ流しだ。

「まっ・・・まままマリアん!このお二人はノア様だっちょ!!」
「腕は?立つんだろうな。弱いものイジメは良心が咎めて適わん」
「んなぁ―――――にが良心だ!!!!????伯爵様に聞いたぞ!!神父のくせに
酒と女ばっか引っ掛けやがって!!!しかも大本命のちゃんは15歳だぁ?笑わせんなロリコン!!!!」
「口の聞き方には気を付けろ」

隈どりから“”という名詞が飛び出た途端にサチコの肩が飛び跳ねる。
隣に立つエクソシストを伺いをたてるように恐る恐る見やれば、
クロスは顔が凍りついて・・・いやむしろサチコの与り知れぬところまで彼の苛立ちが達してしまったようだ。

(ヤバイっちょ・・・ミセスの名前が出ちまったぁ〜)

“ミセス”とはクロスがサチコを始めとするありとあらゆる存在に強要したの呼び名だ。
一定内以外の人間に恋人を気安く呼ばれるのを肚の底から嫌ったが故の、彼なりの譲歩である。
それほどに“ミセス”に対する執着は、強い。

「フン、品のない野郎のおかげで今夜は酒が不味そうだ」






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