ここには、よく人が集まる。
親子連れや恋人同士、部活帰りの学生や老夫婦、まさに老若男女問わずにいつもより賑やかな人々は鮮やかだ。
浴衣を着る人も少なからず、洋服の人もそれなりに、石畳を踏み出店をのぞき込んだり足早に駆けていったりと忙しない。
そんな浮き足立った祭り囃しの喧噪を静かに眺めるのが常だった。

かろん、ころん、かこん

独特な音が鼻緒の気配を予感させる。
歩き方の所為なのか、数ある足音の中でも特に彼女のそれは印象的だった。
丸みを帯びた良い音が、ゆったりと石畳に伝う。
視線をほんの少しずらせば見える所に足音の持ち主は居た。
淡い色合いの浴衣がやんわりと屋台の灯りや提灯に照らされて暖色に染まる。はっとするような背の高い人だ。
眩しいものを見る時の眼差しで目を細める彼女の隣には、もひとつ大柄な人が居る。
人の波から庇うように立ち並んだ男性は、もとより繋いでいた手をそっと引き寄せたようだった。
耳打ちをするように、首をもたげて何事かを囁く。
楽しそうに微笑んだ横顔をふたつ眺めながら、人知れず疑問に首を傾げた。

「行こうか。ゆっくり見て回ろう、
「はい、本庄さん」

こういう商売柄、連れ合った人々を見ればその関係は大抵察しが付く。
親子か夫婦か友人か、多少の差異はあってもこのどれかに当てはまることが格段に多いのだ。
年格好や雰囲気、言葉遣いにあとは仕草。ほんの少しの日常の癖を垣間見るだけでも、識別は付く、が持論なのだけれど

(―この二人はなんだか違う)

時折、恋人になりかけの友人同士や夫婦になりかけの恋人同士といった二人組を見かけることは―残念ながらその逆の破局寸前もごくまれに―あったが彼女たちはそれとも違っていた。
年齢の差を見るならば親子、が妥当。“本庄さん”と呼ばれた人の慈しむような優しい眼差しなどはまさにそれだ。
しかし実の親子(もしくは親類と言っても良い)にしては、女の子特有の余所余所しさみたいなものがない。
年格好から見れば多少なりともそういうものがありそうなものだが、仲の良い親子にしても少ししっくり来なかった。
では親しい友人、そう考えると距離感という点では親子よりずっと的を得ている。
”と呼ばれた彼女が実の親を名字で呼ぶのも珍しいし、敬語で話したりするのであれば歳の離れた友人でも十分あり得た話だ。
歳の割にしっかりした敬語が女の子のほうに馴染んでいる所を見ると、それなりに長い親交があるのかもしれない。

けれど

「本庄さん」
「ん?」

金魚すくいののぼりを見つけて、嬉しそうな声を上げた彼女が笑顔を向ける。
心得たように彼も笑顔を浮かべると、並び立ってこちらへと歩みを進めた。
誰よりも不思議な組み合わせなはずの彼と彼女は、誰よりもしっくりとした雰囲気を纏う。
―友人と言い切れない理由がそれだ。
親子にしては似ていなさすぎる二人にはやさしい眼差しの色合いが共通する。
屋台の灯りの下で、本当に不思議な二人だとしみじみ思った。

かろん、ころん。軒先に歩み寄って水槽をのぞき込むように彼女がしゃがむ。
その姿はまるで小さな子供のようで、伸びやかな手足は大人のそれだ。
いかがですか、声をかけるとやんわり微笑む。
ひまわりと言うよりは夕顔のような穏やかな顔がこちらの眼差しを出迎えた。

「マンションではペット禁止なのが残念です」
「うちもホリーが居るからなあ」
「おやおや定員オーバーですねぇ」

店主がうんうんと頷いてみせると、二人はくすくすと笑って顔を見合わせる。
その姿に、ああ、と目からウロコが落ちたような気がした。実際ウロコが目どころか肌からこそげ落ちたことすらないが。

(彼女らはきっと、親子で友人で恋人で家族なんだ)

数多見る人々とは少しばかり勝手が違うけれど、変わっているけれど、きっとそれで私がそうしたように首を傾げる者だって沢山居るだろうけれど、彼女らは彼女らなのだ。
親子のように互いを慈しんで、友人のように見つめ合って、恋人のように想い合って、そしていつかは家族になるのだろう。
二人の姿を見るとそれが当たり前のように思える。そんなひとたちも世の中にはあるのだ。きっと。

(大丈夫。とってもお似合いですよ、おふたりさん)

するん、と水面の下で尾ひれを翻して私は彼女らにそう喋る。
言葉はもちろん通じないけれど、彼女はまたふんわりと笑顔を返してくれた。







++あとがき+++
去年から暖めてた金魚視点ネタ
本当は題名もお題サイトからお借りたかったんですが、視点を隠したまま最後の種明かしにしたかったので断念
ララドールさまの【金魚の趣味は〜】っていうのなんですが…ちょっぴり残念(´・ω・`)
本庄さんと嫁は親子で恋人で友人で家族。そんなかたちを目指します。

タイトル*流星雨さまより


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