さして大きくはない教会での一日は、始まった。
しん、と静まり返る人っ子ひとりいない礼拝堂の祭壇の前に立ち、右手が緩やかに動く。確か手順は、額―胸―左肩―右肩。
おおよそ蛭魔には縁のない仕草を踏んで、ひどく緩慢に見える動作で十字を切ると、日本人の良くイメージする祈りのジェスチャーよりも幾分か低い、へそあたりの高さで、生粋の日本人の彼女は両手を互い違いに組み合わせた。祈ると言うよりは姿勢を正した形に近い。随分と亜流な祈りを捧げているらしかった。
頭を下げることもなく、しばらく瞼だけを下ろした後で、指を解いて顔を上げる。マリア像を一瞥、また少し動きをひそめる。それが一通りのやり方のようで。

柱にもたれて逐一動作を目で追っていた蛭魔に構うもことなくは椅子からわずかな手荷物を右手に収めて携帯を確認する。
先ほどまでどことなく得体の知れない雰囲気を漂わせていたは、選抜チームのサポートリーダーに戻った。

「アメリカの勝利を悲願してお祈りか?ケケケ、ご苦労なこって」
「…あんたとことん暇なの?それともその顔でミサにでも来たの?朝も早くからご苦労なこって」

蛭魔は日本語で、は英語で、互いにちぐはぐな言語を交わす。
見慣れたジャージ姿ではなく、いかにもそれらしいシンプルなワンピースの裾がかすかに翻った。

「馬鹿言いやがれ。悪魔は神に頼らねえ、頼ろうとも思わねー」
「…」
「祈って勝てるんなら苦労しねぇんだよ」

反射的に口から出た言葉は、予想外に教会の空気を揺らす。
それはすべてが蛭魔の本心だった。
神頼みなんてしない。ただ自分の手で切り拓くのみだ。
黒々とした瞳がゆっくりと動く。
乗るか?挑発的な仕草で唇を歪めた蛭魔に、が返した言葉は予想に反したものだった。

「“―それが君の神様なんだね、じゃあ僕も神様を見せよう”」
「あ?」

パチン、薄いシンプルな造りの通信機器を閉じて、微妙な距離は保ったまま、は蛭魔に向き直る。
いつ何時たりともゆるめた素振りを見せない口元が凛々しく開いた。
アメリカチームのメンバーと接するときとは似ても似つかない、低い温度の声が走る。

「私は、プライドを捨てるプライドを持つだけよ。泥にまみれる覚悟はとうの昔に出来てるわ。それを独断と偏見で見限るなんて随分乱暴なことするじゃない」

後ろに天使の彫刻を背負うには少し剣呑な顔立ちが蛭魔を迎え撃つ。
蛭魔の嫌う、めんどくさい理屈の標本のような言葉が周囲を取り巻いた。
“プライドを捨てるプライド”

「限りなく100に近い99の為に手を尽くすのが私の役目。データを集めて、サポートに従事して、アメリカが勝つ為なら、“どんなことにも”妥協はしない。なりふりに構って神に頼るプライドも持てない人間に私のルールをとやかく言われる筋合いなんてないわ」

そう言い放つといかにも昔気質のようなそぶりで、ともすれば愚直ともとれる潔さで、反するものと知りながら礼儀を欠かない様では一時の間、口を噤んだ。
それは反論があるなら言ってみろという自信と、違う考えを計ろうとする謙虚さと、自らを律する飽くなき向上心だろう。まさに、“どんなことにも”妥協はしない、振る舞いだ。

テメーみてぇのが一番厄介だ、そんなのお互い様でしょう

無言のやりとりの末に、は、帰るわ、と呟く。言うが早いか踵を返す。
隠したつもりかは知らないが、心待ちにしていたようには扉を開いた。
(不確かなことを嫌うという人間の、“なりふりを構わないを構わない理由”が、教会の外まで来ているのだろう。)
わき目もふらずに歩く背中は、最後までワンピースがそぐわなかった。



漆黒



(黒の手帳に付け足す言葉はただ一つ。“史上最悪にめんどくさい敵”)


++あとがき+++
思い立ってワイフVS蛭魔的なものが書きたくなりました。
“神に祈らない”蛭魔と、“神にだって祈る”ワイフ、どっちもやれることは何でもやる人
お互い多分腹の底では(気に入らねぇな…コイツ)とか思ってます。お前らwww

ワイフなりの本気、というかアメリカチームに対するポリシーみたいなのが出てたらいいな。
ワイフは七夕でも初詣でも何ででもお願いします。自分も頑張るけど、お願いもするし、お祈りもする。
こいつ絶対ワンピース似合わねえよ(笑)とか密かに思いながら書いてました←…

タイトル*ララドールさまより


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