※ 312th down「新世代へ」ネタバレ注意
「・・・あ」
ニュージーランドとのゲームをもはや終えたと言っても差し支えのないアメリカ選抜。
タオルや氷など細々とした備品や、書類のチェックをしていたが小さく声を上げた。
「?」
「眼鏡、ドンに預けたままだ」
ポケットを探ったままの状態で、は顔をしかめる。
試合開始直後に控えと総入れ替えになってから、気付いたら何時の間にかドンは姿を消していた。
神出鬼没なのだ、あの男は。
心の中で溜め息を吐いて、は広げていたプリントをバインダーにひと纏めにした。
「ごめん、ちょっと探してくる」
両手をはたきながら立ち上がると、誰にともなくはそう告げる。
パンサーが振り返ったときには、彼女は髪をなびかせてスタンドのほうへと足を向けていた。
いつも隣にMr.ドンが居るツーショットに見慣れている所為かその後ろ姿はどことなく物足りない。
しっかりとした足取りで歩く背中を見送りながら、パンサーはベンチにふんぞり返るクリフォードに声をかけた。
「ワイフって眼鏡掛けてたっけ?コンタクト?」
「俺が知るか」
にべもない。ばっさりと切り捨てられたパンサーは、しかしそれを気にしたりしない。(いつものことなのだ)
相変わらずつれないなぁとのんきなことを考えていると、パンサーの問いにバッドが答えてくれた。
「そーいやさっきMr.ドンに拉致られるまでは掛けてたな。それ以外では見たことねぇけど。お前は?タタンカ」
「今日見たのが初めてだ」
ベンチの背もたれ越しにバッドがタタンカを仰ぎ見る。
どうやら全員が全員、あまり眼鏡をかけたを見たことはないらしい。
それほど目が悪くないのだろうか。それにしてはわざわざMr.ドンを探して取りに行かなければならない理由がない。
同じ考えに至ったのか、タタンカが腑に落ちないさまで首を傾げた。
「後で本人に聞けばいいだろうが」
スタンド席の出入り口付近を、クリフォードが顎で指す。
真っ白いジャージと赤いバインダーがよく目立った、だ。
きょろきょろと辺りを見回しながら、スタンド席で行ったり来たりを繰り返している。
ふと、ある一点で視線が止まった。
「オイオイオイオイ・・・なにしてんだあのお嫁は」
「セナと進さんが居るってことは、あれって日本選抜の団体じゃ・・・」
「もしかして、見間違えてる?」
「テメェの首締めてんのに気付いてねぇのかよ・・・」
事もあろうにライバルチームに、はまっすぐ向かっていく。
ヘルメットを乱暴に放り投げたバッドとタタンカが、スタンド席へと走った。必死である。
ベンチに残ったパンサーとクリフォードが試合そっちのけで見守る中、背後から地獄の底から響いてきたようなひび割れた声がびりりとフィールドの空気を揺らした。
「良い度胸だ、あの阿呆」
「みみみみみMr.ドン・・・!!」
殺意垂れ流しの、ごく低音で、Mr.ドンはそう呟く。
ベンチから飛び上がって、パンサーが居住まいを正した。(やばいやばいやばいMr.ドンめっちゃ怒ってる!!)
視線だけで何人か射殺しそうなほど険しい目をしたMr.ドンに、流石のクリフォードも言葉を失っている。
“仕置きが要るな”不穏な言葉が、耳をかすめた気がしたが、聴覚がそれを拾うのを拒否してMr.ドンの呟きを掻き消す。
聞いてはいけない、言葉だった。
ざくり、Mr.ドンがフィールドを踏みしめてスタンド席へと向かう。
クリフォードがひっそりと呟いた(死んだな、ワイフ)
そんなことには微塵も気付かないまま、は間違えて引っ張ったストライプのスーツの袖から手を離した。
「ごめんなさい、知り合いと似てたものだからつい」
「いーえ、こんな可愛いシニョリーナだったら大歓迎だっちゅう話」
日本語が耳に懐かしい。
自然と顔を綻ばせたにつられるように、円子と名乗った人もにっこりと微笑んだ。
隣ではクリフォードによく似た青年が、銃火器片手に食い入るようにしてフィールドを見やっている。
「上から見てたよ、アメリカチームのサポートリーダーなんだって?抽選会でもちらっとすれ違ったけど」
「その節はうちのチームが大変失礼を・・・」
アメリカの集団ボイコットを思い出してうなだれる。
峨王に悩まされる自分と、同じカテゴリーの人だ。
痛いほどよくわかる気持ちに、苦笑いを禁じ得ない。
「お互い大変だね」
“さっきもえらく叫んでたし”と労るように頭を撫でられたが、かあ、と赤面する。(ベンチではパンサーが顔を青くしていた)(ワイフ逃ーげーてー!!)
え、あ。いや、その・・・、どもりながら、最終的に額を埋めるように壁により掛かって顔を隠してしまった。(あらま、地雷だったかな)
耳から首まで真っ赤に染めて、ブスブスと煙を上げそうなほど恥ずかしそうだ。
「ほぉ〜?」
先程まで試合に向けられていたはずの蛭魔の意識が、何時の間にかのほうにフォーカスされている。
世に言う悪代官のように笑う蛭魔の横顔が愉快げにきらめいた。使える物は、何でも使う、だ。
「蛭魔妖一だ、よろしくな」
円子からしてみれば胡散臭いことこの上ない笑顔で、蛭魔がに右手を差し出す。
何のためらいもなく自らの右手で応えたは、蛭魔の本性など知る由もなかった。
「です。こちらこそよろしく」
友好的なはずの握手が、何故か悪魔の契約(もしくは罠)のように見えてしまって仕方がない。
貼り付けた笑みのまま、フィールドがどうの備品の調達がどうのと細々したことを(おおよそ蛭魔が聞かずとも済むことを)に訊ねている。
円子にはどうしても、打ち解けようとしている振りにしか思えなかった。
「アメリカに来て日も浅ぇしな…またなんかあったらそん時は頼むぜ」
「私でよければ」
にこ、と微笑んだの頭を、地獄の司令塔が撫でる。
あり得ないことの連続で、円子は鳥肌が止まらなかった。(あぁの笑顔が気色悪いっちゅー話!!)
「ちょっと待った!そこのにーさん悪い事言わねえからこいつにだけは手ェ出すな?」
「、何してるの」
「バッド!タタンカ!」
じょわ、と浮き出た鳥肌をさすろうとした円子の傍らを二つの風が駆け抜ける。
アメリカチームのユニフォームに身をまとったままでスタンドに現れた対照的な顔立ちの二人の選手―円子の記憶が正しければ、一度もフィールドの土を踏まなかった、ペンタグラムのディフェンス勢だ。
「あのなワイフ、俺だってこんな事言いたかないがMr.ドンの性格はお前が一番よぉく知ってるはずだろ?今までどんだけ痛い目見てきた思い出せ」
「これは流石に・・・何というか、物凄くよろしくないんじゃないか?その、Mr.ドンの性格上」
「ご、ごめん。久々の日本語にテンション上がってて、つい・・・」
人差し指をピッと立てて諭すように言うのがバッド、一歩引いた控えめな物言いをするのが恐らくタタンカであろう。
ペンタグラムには足りないトライアングルで三人は一様に顔を見合わせた。
「え、ドン戻ってきたの!?」
「いや、俺達がベンチに居たときはまだ―」
ひょい、タタンカがフィールドを見やる。
つられるようにベンチサイドに目を向けた円子は思わず眉を寄せた。
アメリカ側のベンチから、身振り手振りで必死にパンサーが何かを訴えている。
しかし、スタジアムの歓声に押されてしまっていて、パンサーの言葉は届かない。
無音のテレビでも見ているような奇妙な可笑しさしか伝わってこなかった。
「何してんだパンサーの奴・・・」
「なんかものっそい必死なのはよくわかるんだけど・・・」
手をひさしのようにしてバッドが見守る中、パンサーの隣に座っていたクリフォードがホワイトボードを提示する。(通常はフォーメーションを書き込むために置いてあるものだ)
特注サイズのボードが陽光を反射してチラチラと輝いた。
「何か書いてある・・・読み辛いな、R?」
「ん゛、RU N…?A W…A、Y、WI…FE?…………“逃げろワイフ”だぁ!?」
「ぇえっ!?うそぉ!」
“RUN AWAY WIFE”そう書き殴ってあるのを確認した途端、三人はザッと顔色を変えた。
彼らにのみ正しく、“何か”が伝わったらしい。(てかさっきも思ったけどワイフって・・・・)
一番げんなりしているが、こめかみを押さえて何ともいえない溜息を吐いた。
― ワァッ!!!
突如、会場が沸く。
ゴールポストからズレた軌道を描いたアメフトボールがスタンド席にまでその飛距離を伸ばして着地をはかる。
弾かれたのではなく、狙いの外れた球体は勢いを殺さぬままスタンド席に飛び込んだ。のほうに。
「危な・・・!」
円子が手を伸ばすより速く、弾丸のようなボールが疾走する。
がつ!と鈍い音と共にの体が揺らいで、タタンカの腕が宙を掻いた。(―落ちる!)
コマ送りのようにバランスを欠いた体躯の軸が傾く、その瞬間より速く一本の腕がの二の腕を絡め取った。当然の引力のような、吸引力。
それがさも然るべきである様に、両腕がを抱きとめた。
「・・・鈍くせぇんだよ馬鹿」
「―……ド ン、?」
崩れ落ちそうなを抱え直して、不機嫌な声が鼓膜を揺する。
固く閉じられていた漆黒の瞳と金の双眸が合わさって、互いに沈黙が走った。
片や捕食される寸前の小動物のように、片やあからさまに裏のある笑顔で。
「―……」
「うわ、ちょ、待っ・・・人前!!」
「黙れ」
「いたたたたたた!歯を立てるな歯を!!」
目の端に少しだけ、擦過傷ができて血がにじむ。
それを目に留めたMr.ドンは盛大に顔をしかめて、その赤に獣が牙をたてるように噛みついた。
の顔色を見る限り、手加減だとかそういうものはその挙動から一切削ぎ落とされているらしい。
べちん、格闘技のタップのようにの平手がMr.ドンに当たるも全て亡きものとされていた。(うわ、痛そ〜…)
「―Mr.ドン、ワイフ」
「二人とも怪我は・・・っ」
驚愕を紐解いたバッドとタタンカが次いで行動を起こす。
気遣うように窺ったバッドに、の双肩が渡された。
「逃がすなよ」
恐ろしく低い声でそう告げると、目を丸くしたチームメイトに構いもせず、Mr.ドンは階段を降り始める。
ちょうど先程の瀬名の居た辺り、フィールドに一番近い所へと足を運んだMr.ドンはギャラリーの耳をつんざくような歓声を物ともせずに、その言葉を空へ放った。
「ホーマー」
「ッス!!」
「 潰 せ 」
「イエッサ!!」
一字一句、ひとつのスペルたりとも聞き逃さない。
簡潔にして、単純明快、シンプルな言葉でMr.ドンはその怒りを顕わにした。
存在が語る。彼のかけがえのないという女性に、手を出したらどうなるかを。
「さて、可愛い可愛い俺のDear?」
「もがっ!?」
再び階段を上がってきたMr.ドンは、見事なアルカイックスマイルを湛えたままの口を利き手で鷲掴みにして塞ぐ。
反論は許さない。そういう意味が込められているのであろう。
一つの接地面で全ての動きを封じて、言葉を紡ぐ。
「昼日中からそんなに痛い目見たいかこの研ぎ澄まされたドMが。その見上げた根性叩き直してやる」
「〜っ誰がドMだこの地上最強の鬼畜っ!!大体っ、ドンが何も言わないで急に居なくなるか ら、…」
「ほう」
口を塞ぐ掌を引き剥がし、果敢に抵抗するの言葉が墓穴を掘った。
ざっと顔色を変えたに、Mr.ドンがまさにSっ気丸出しの笑みを浮かべる。
「ちょ、待っ、口が滑った・・・」
「残念だったな、タイムアウトは使えねぇぞ。否定しなかった分は優しくしてやる」
「うっそぉ・・・」
退いた踵が壁に追いやられて、逃げ場を失う。
の声なき悲鳴は、Mr.ドンの口付けに全て封じ込められたのであった。
逃げ道の確保が最優先
(「とまあ、あんな感じでうちのボスが溺愛しちゃってるワケだからさ。間違ってもワイフをダシに使わない方がいいよ、日本の人」
「ご親切にどうも、アメリカの人」
「…あんな爆弾誰が使うか」)
++あとがき+++
いやー、ひっさびさに長いの書きました。全角5000文字ギリギリ。おかげであとがきが入らなかったのでPCからのあとづけです。
WEB拍手で「ワイフと日本選抜の絡み+Mr.ドンの嫉妬はすごそう」というなんとも楽しそうなネタをいただいたのでワイフin日本選抜。
オチが相変らずというなんとも残念な結果になってはしまいましたが、菱は楽しく書かせていただきました。
おいしい夢ネタコメントありがとうございます。まあMr.ドンの嫉妬及び独占欲はいつでもダダ漏れなんですけどねっ→…
お星様メンバーをうまく絡ませるのは相変らず難しいです。王子とパンサーの温度差はいつも楽しく描いてるんですが(笑)
円子の語学が思いがけず堪能になってしまいましたがその辺りは目をつぶっていただきたく…(げふんごふん)
捏造捏造。今日も楽しくMr.ドンが鬼畜になってゆく(爆)ホント気になる原作のMr.ドンの性格その他諸々…
タイトル*ララドールさまより
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