【強く強く】
「ゴロベエは狡い」
唐突に呟かれたその一言に言われた当人は軽く目を見張った。
蛍屋の軒先、屋号どおり蛍の飛び交う庭を眺めたままそう言った年若い少女は
ゴロベエ達の仲間、れっきとした“侍”である。
隻眼隻足というハンデを背負いながらも弓放ち刀を振るうその腕はカンベエに並ぶ程だ。
「これはまた如何なものかな。理由を聞いても?」
「・・・・ゴロベエは」
と、そこまで言うと口をつぐんでしまう。
言い辛い事なのだろうか。
「ん?どうした、止めか?」
「・・・・」
「」
促すように横顔に呼びかければぎこちない片足ごと胸に抱き込んで顔をうずめてしまう。
ぽつり、と落とすような声が響いた。
「・・・・ゴロベエは、強い」
「何、ぬし程ではないさ」
「強い」
念を押すように言う語気は強いが、声は耳を澄まさなければならないほどに小さい。
「カンベエ殿は私に無茶をするな、と」
「あぁ・・・・」
「あの人は私に背を預けてはくれない」
「なるほど」
はカンベエの恋人だ。
始めはまるで他人と関わろうとなどしなかったこの子に“”という名前を与え
共に生きる意味を与えたのが他でもないカンベエである。
にとってはカンベエこそが生きる理由であり存在意義、そんな彼の役に立てないのはきっと歯痒いのだ。
「なればシチロージ殿も狡いか?」
「私は、シチロージ殿ほどの信頼を期待していいほど身の程知らずではないよ。
昨日の今日ので拾った野良犬にそんな信頼を抱けというほうが、驕り というもの」
「ふむ」
「あの人に比ぶれば私は信頼には値しない。ゴロベエに比ぶれば私は余りに弱輩」
「だからそれは誤解だ」
「誤解ではない。ゴロベエは信頼されてる・・・もう判るでしょう。
カンベエ殿とシチロージ殿の間には長年築いた絆がある。
ゴロベエには時は無くともそれを物ともせぬ信頼がある。“強さ”があるからだ・・・私には、それがない」
「」
「ゴロベエ、は 狡い」
そう言って再び口をつぐんでしまったその姿はどこかへそを曲げた猫を彷彿させる。
(おやおや、これは・・・・なんと言うか)
と、そこへ給仕を終えたユキノが姿を見せた。
「あら、どうなすったんです旦那?ちゃんも」
「ユキノ殿。いやなに、乙女の心憂きことを聞いておったところよ」
「まぁ・・・それで元気がないの?ちゃん」
「そんな事は・・・」
「あら、無理はするもんじゃないわ。ねぇ旦那」
「あぁ、その通り」
ユキノとを見やりながら、ゴロベエは込み上げてくる笑いを噛み締めるように堪える。
とどのつまり、ゴロベエは嫉妬をされてしまったのだ。
シチロージにあるのは長きに渡る信頼、ゴロベエにあるのは強さによる信頼。
カンベエにしてみれば『無茶をするな』はを想うこその配慮であるのだが
当人にはしてみれば腕が足らない、お荷物だという念が強いのだ。だから、は悔しがる。
カンベエの信頼に値しないのだと勘違いして。
あまりに可愛らしい嫉妬だ。それに口の端があがるのを押さえるのに苦労しながらわざと真面目くさった声を取り繕う。
「なぁ、。案外ぬしだけではないかもしれぬぞ」
「・・・・?」
「わからぬか?なれば某が良いことを教えて進ぜよう」
* * *
「そう言えば、カンベエ様。あの子・・・さん、と申されましたか。随分な手練だそうで」
「あぁ、儂も始め見たときは目を疑った。あの小さな体の何処にあんな強靭な力があるのか、とな」
「大事にしていらっしゃる」
「シチロージ」
「おやぁ、アタシが気付いてないとでもお思いで?
いけませんねぇカンベエ様ともあろう御方がそのようでは。
さんを見るときの眼差しときたらもう
見てるコッチが気恥ずかしくて溶け出してしまうんじゃないかと思いましたよ」
「・・・まったく、お前には敵わんな シチ」
「ありがとうございやす」
ククク、と悪戯っ子のような笑みを浮かべながらシチロージがおどける。
そんなシチロージとは対照的にカンベエはどこか浮かない顔で盃を傾けた。
「なにか気に掛かることがおありのようですね カンベエ様」
「なに、大したことではないさ」
「なら話してくださっても障りはないでしょう?カンベエ様はなんでも背負い込んでしまうからいけない」
やれやれ、と言わんばかりにシチロージが片方の眉を下げる。
「すべてお見通し、か。げに恐ろしき古女房よ」
「アタシを侮っちゃあいけませんよ。それで?“今”女房様とは如何様で?」
「・・・儂も年をとったものよ シチ」
「と、言いますと?」
「あの子はかつて住みかも持たず名すら持たず、ただ痛む体を引摺るようにして戦ってきた。
農民でもアキンドでも、ましてや武士でもない自分を“とかげ”と称して
その日暮し、明日も昨日もなくただ日々をやり過ごしておった。
とかげのように地を這い影に潜むことで自らを必死で守っておったのだよ」
「・・・いやな、時代です」
「そんなあの子に儂は“侍”になれと言った。侍として共に来い、侍として共に生きよ・・・だのに身勝手な話よ、
今や儂はあの子を戦に連れていきたくはない。侍たれと言ったのは他でもないこの儂だというのに」
「さんを想うからこそ、でしょう」
「そんな立派なものではないさ。年寄りの保身
あの子と共に戦い生きてゆくと決めたはずなのに儂はあの子に“戦うな”と。
一度は与えた生きる理由を、今度は儂が取り上げあの子を二度死なせてしまうようなものだ」
「なくすのが恐いですか」
「あぁ・・・始めはあの子が生きていく理由を見つけてやれればいいとそう思った。
少しでも憂いなくして生きてゆければよい。明日に希望を持てればよい。
けれど今はどうやってあの子を生き長らえさせるか、
どうしたらあの子をこの手に留めておけるか・・・・考えるはそればかりだ」
「カンベエ様・・・」
「あの子は強い。それに聡い。みるみる大きくなってゆくよ。
いずれ自らの確固たる意志を以てして戦うことも覚えるだろう。
そうなればもう儂には与り知れず、はばたく鳥を四角四面の箱に入れ置くことは叶わぬ」
「・・・悩むも畏るも愛するがゆえ、ですよ カンベエ様」
空の盃に酒を継ぎ足しながらシチロージが静かに言った。
「あの子は確かに鳥のようだ。今はまだ飛べずとも空の青さを知っている。
それは巣から落とされ崖下に身をひそめていた雛鳥に
空の青さを教えたからでこざいましょう−他でもない貴方が、あの子を見つけて」
つ、と夜空を仰ぎ見ながら彼は続ける。
「アタシはねカンベエ様、どうもさんが貴方から離れるとは思えないんですよ。
おかしいでしょう?今日会ったばかりなのに何故そんな事が、と・・・けれどね、判ったんですよ。
貴方はさんにとっての翼なんです」
「・・・翼、とな」
「貴方が居るからさんがはばたける。
貴方が居るからだだっ広い空にまっすぐに進んでゆく・・・・もっと自信をお持ちになったら如何で?
カンベエ様が折れればあの子が堕ちる。しっかりと傍に居てやらねば」
* * *
それからまたしばらく酒を酌み交わし、夜も更けあてがわれた部屋に戻ろうとした矢先
密やかながら声が聞こえる。
軒先にあるのはゴロベエとユキノ、そして母に甘える子供のようにユキノの膝に頭を預けるの姿だ。
「なれば、は男になります」
「そしたら夫婦にはなれないんだよ?そんなの嫌だろ ちゃん」
「傍に、いれるならなんでもいい。男になって、ずぅーっと強くなったら・・・・うん、それがいい」
「これはこれは・・・なんと言うか、なぁ ユキノ殿」
「そうですねぇ」
くすり、くすりと笑ってユキノがの髪を梳く。
暗に男女の仲を示したのだが、やはりと言うかには届かなかったようだ。
の想いは一途でまっすぐ、あまりのまっすぐな想いはいじらしく愛らしさが感じられる。
「もっと力が付いて、背ももっと生えたら、ヘイハチ殿のように薪割りも出来るし、
シチロージ殿のようにユキノ殿のお手伝いもできるし、キクチヨ殿のようにコマチ殿を肩車出来ます」
「 背はな、生えるのではなく伸びるものだ。にょきにょきと草木のように生えては困る」
「そしたらキクチヨ殿を追い抜かせる」
「ぬしはあそこまでごつくならずともよい」
喋る言葉はとりとめがなく、時にとんちんかんだ。
合いの手を入れるゴロベエとあえて訂正しないユキノ、どちらもを面白そうに見ている。
「ごめんねぇ、あの人が島田様を独り占めしちゃってさ。でも嫌いにならないであげてね?」
「はシチロージ殿を嫌いになったりしません。
シチロージ殿はユキノ殿とカンベエ殿がお好きなんです。もユキノ殿とカンベエ殿が好き。
ならきっとはシチロージ殿も好きです」
趣味があうなら仲良く出来ると言うことだろうか。
カンベエをとられた、という念は欠片もない。あるのは純粋な好意だ。
「んもう、こーんな可愛い子に好かれるなんて島田様は幸せですねぇ」
「カンベエ殿を好きなはもっと幸せです」
「まあまあ」
「カンベエ殿が日の当たるところに連れてきて下すったから“”は今此処にいれます。ゴロベエやユキノ殿の傍に」
「そうとも」
「から、何でもします。出来ることちゃんと、全部何でも。から、だからもう置いて、ゆかないで」
「ちゃん・・・」
「お願い、します・・・」
ぽつり、と出た本音には悲痛なほど
なにかを掴むよう虚空にのばされた腕をゴロベエはしっかり掴む。
数多の修羅場をくぐり抜けてきたはずの、けれど
所在無げで今にも崩れてしまいそうな細い手指を放しては、いけない気がした。
「・・・。大丈夫だ 。誰も、ぬしを置いていったりするものか」
「そうかなぁ・・・・」
「無論だ」
「だったら、いいなぁ・・・・」
力尽きたように閉じられた片方の瞼からツゥ、と涙が流れてユキノの着物に痕を残す。
じわり、じわりと次から次へととめどなく流れては消える。
幼いを大人びて見させるのは、横顔に翳る過去の残像か。
うつらうつらとしながらも泣くにカンベエとシチロージは静かに歩み寄った。
「泣いちまったか」
「あら、おまえさんがいけないんだよ。可哀想に、聞いてたんだろ“置いてゆかないで”って」
「いじめるつもりはなかったんだかなぁ。ごめんよ さん」
寝息をたてるの頭をシチロージがそっとなぜる。
「安心なさい、アタシはあんた達を引き裂こうとしてるんじゃあない。
カンベエ様をよろしく頼みますよ。ちいさな剣豪さん」
それだけ言うとシチロージがカンベエに譲るように場所を空ける。
「部屋に、連れていこう」
「お願いします」
カンベエが軽々と体を持ち上げれば、眼帯をはめていないほうの目が薄く開いた。
その姿を見るや否や身を乗り出して広い肩にするりと手を回す。
「これ 。腕を離さぬか、危ないであろう」
「いやです。だってゴロベエは、そのほうがいいと言った」
駄々をこねるようにいやいやと首を振ったり、猫のようにカンベエに擦り寄るはいつもとは違いまるで幼子だ。
これはまるで−否、確実に
「・・・酔っておるな」
「申し訳ない。まさかお猪口一杯で酔うとは夢にも思わなかったものでな」
「まったく・・・ もう休みなさい」
「いやです」
「いやではない。あまりジジを困らせるものではないぞ」
「じゃあもババになります」
「さすれば儂は大ジジよ」
「ならも大ババになります。カンベエ殿と一緒がいい。ずっと」
「・・・これはこれは、カンベエ様如何なさいます?さんからの立派な愛の告白ですよ」
「茶化すでない シチ」
ぎゅう、と抱きつくを支えながらカンベエが眉根を寄せる。
ふと思い出したようにがカンベエに何事かを囁いた。途端にカンベエが驚いたように少しばかり目を丸くする。
そんな彼を見てが淡く笑った。
「あぁ、言った通りだ・・・・・・・ゴロベエは」
「ん?」
「やっぱり、狡い。私は自分のことすらままならないのに」
「年の功、というヤツよ。こればかりは諦めろ」
ゴロベエが頭を軽くなでれば今度こそ眠ってしまったらしくの腕が力なく撓る。
大人しくなった彼女を抱えなおしてからカンベエは部屋へ向かった。
その背を見送りながらシチロージがゴロベエに問う。
「時にゴロベエ殿、一体さんに何とおっしゃったんで?」
「なに、他愛もない事よ」
くつりとのどを鳴らしながら笑うゴロベエは、にこう言ったのだ。
「ぬしはもっと自信を持ったほうが良いのだよ。カンベエ殿のことに関してもな
しつこいぐらいでちょうど良い・・・・時に、ぬしは某のことをなんと呼ぶ?」
「なんと、って・・・ゴロベエと」
「キクチヨやカツシロウ、ヘイハチ殿の事はそれぞれなんと?」
「キクチヨ殿にカツシロウ殿にヘイハチ殿、で」
「カンベエ殿やシチロージ殿もやはりこう呼ぶな?」
「えぇ、けれどそれが何か・・・・」
「なれば今宵、カンベエ殿の事をこう呼んでやるとよい。カンベエ、とな」
「・・・・?」
「きっと喜ぶ」
「こう言って、もっと甘えたくってやれと教えたのだ」
「なるほど、そりゃあいい」
想い想われるあの二人にはこれぐらいがちょうどいい。
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