―ズザッ

 なにが起こったのかよく解らなかった。
 光が目前に迫ってきたと思ったら、急にどこかに投げ出されて。


  【BEAUTIFUL】−5−


  「ぅ・・・」

 此処はどこだろう。
 さっきまでいた部屋とは明らかに違う。

  (・・土の匂いがする)

 あたりは暗いが木々の擦れる音も聞こえる。
 どうやらだいぶ深い森のようだ。だが場所が解っても今のにはどうしようもない。

 叩きつけられた体がきしむ。
 教団での実験はの体力をほとんど奪った。疲れ果てていて指先を動かすのも億劫だ。

  「おやマァ♥」

 おもむろに陽気な声が響く。暗い森には似つかわしくない人物。

  「こんな所で遭えるとは思いマセンでしたヨ、♥」
  「だれ・・・」
  「オット、これは失礼シマシタ♥我輩は千年伯爵と言いマス。はじめまして♥」

 そういうと、千年伯爵はの頭を撫でる。

  「・・・♥貴方変わってますネェ。噂どおりデス」
  「噂・・・」
  「ソウ、噂♥有名ですヨ。“カミサマに愛されてる”っテ。まァ、貴方にとっては迷惑以外の何者デモなかったでしょう。
   教団は貴方をムリヤリ連れてキテ、ここマデ苦しめテ。貴方知ってまスカ♥?」
  「・・・なにを」
  「貴方を育ててくれた伯父夫婦は亡くなりましたヨ。最期まで貴方に会いたがっていらっしゃいマシタ」
  「・・・・・・・」
  「ドウです?貴方も会いたくアリマセンカ?優しい育ての親に」
  「・・でも死んでる」
  「我輩なら会わせてあげられまス」
  「・・・・・・・」
  「どうしまス♥?」
  「・・・・・い」

 かすれたの声が響く。小さく小さく。

  「もう、いいよ。どうだっていい」

 かすかに、伯爵が息を飲む声が聞こえた気がした。

  「ホントウに?後悔しマスよ?」
  「しない」
  「どうしテ?叔父サマ達は会いたがってマスよ」
  「あたしだって、会いたい」

 の目から涙が落ちる。

  「ナラ、」
  「でも」

 伯爵の声を遮った、の声に迷いはない。

  「もういい。人は生きてばいずれ死ぬ。
   そしたら、ぜったい父さんたちにも母さんたちにも会いにいける。
   だからそれまでは、会えなくてもいい」

 苦しくても、悲しくても、辛くても、

  「あたしは、“今”を生きる」

   ―ひとりでも、

 それが、4人の親にできる、の唯一の親孝行だ。

  「だから、帰って来てなんかいらない。今は、会えなくてもいい」
  「残念デスね」

 言葉に違わず、残念そうに伯爵が言う。

  「デモ、いいコトを思いつきましたヨ♥

 ぞくり、との背中に厭なものが伝う。
 伯爵の手がを捕えた。ジリ、と焼け付くような痛みが全身に走る。

  「っ・・・・・」
  「“今”をいつまで生き続けられるかが見物でス♥」

 そう言う伯爵の声が聞こえた気がした。


          * * *


 ざくり、ざくりと枯葉を踏む足音が森に響く。
 道なき道を進むクロスを、導くようにティムキャンピーが飛んでいる。

 と、唐突に、ティムが進路を変えた。
 何かを見つけたようで、クロスを急かすように翼をせわしなく羽ばたかせている。

 視界に飛び込んできたのは暗闇でもハッキリ判る鮮やかなエメラルドグリーン。
 それとは対照的に透けるような白。

 まるで彫刻のように微動だにせず横たわる少女がいた。
 心配するようにティムキャンピーが少女のまわりを飛ぶ。

  「もう、手遅れだ。ティム」

 そう言って弔いをしようとクロスがやつれた子供に触れれば、微かに瞼が震えた。

  「!!馬鹿な、」

 服や肌の様子から見ても、少なくとも4〜5ヶ月はここ居たはずである。
 加えて今は冬、助かるはずがない。だが目の前の少女には微弱ながら確かに脈がある。

  「チッ、どうなってやがる」

 クロスはそうひとりごちると、子供を抱えて次の街へと急いだ。


          * * *


 診察を終えた医師はただただ困惑していた。

  「奇跡としか言いようがありません。検査の結果、半年は飲まず食わずでいたはずです。
   かなり衰弱はしていますが、脈も呼吸も正常に戻りつつある。一体彼女になにが?」
  「詳しい事は解らん。森で倒れていたのを見つけたんだ」
  「そうですか。少し見ていただきたいものが・・・」

 そう言うと、医師は少女の袖を捲る。白い肌に黒と赤の色がくっきりと刻まれている。

  「!!これは・・」
  「これが全身に広がっているんです。なにか、ご存じのことが?」
  「・・・あぁ。」

 そう言ったクロスの横顔には苦渋の色に満ちていた。


          * * *


  「・・・っ」
  「目が覚めたか」

 クロスは身じろぎをした少女の顔を覗き込む。
 だが、開かれた目はどこか虚ろで焦点があっていない。

  「オイ、聞こえるか?」

 体を起こさせて耳元でもう一度話し掛ければ、微かに頷いた。

  「あまり、小さい声だと、聞こえにくくて、」

 擦れた小さな声が痛々しい。
 クロスは子供を抱き上げて顔を近付けるとできるだけゆっくり話した。

  「名前は?」
  「な、まえ・・・
  「そうか。、目が見えないのか?」
  「見える けど、見えたり・・見えなかったりする。耳もおんなじ」
  「いつからだ?」
  「黒の教団に行って、しばらくたってから」
  「黒の教団に居たのか?」
  「いた」
  「教団では何をしてた?」
  「ヘブラスカに、何回も会って イノセンスをたくさん入れた」
  「・・・体のイレズミはその時にできたのか?」
  「うん。はじめは・・・ちょっとだけだった。けどだんだん広がってきて」
  「赤いイレズミもその時からあるのか?」
  「ううん、赤いほうは伯爵に会った後にできた」
  「伯爵・・千年伯爵か?」
  「うん」
  「会ったのか?」
  「森 に、居たときに。噂通りって、言ってた」
  「噂?」
  「“カミサマに愛されてる”って」
  「・・・そうか」

 それだけ言うと、クロスはの頭を優しく撫でた。

  「、まだ疲れてるだろう。しばらくの間ゆっくり休むといい。
   何かあったら呼べ。俺が居ないときはゴーレムのティムキャンピーを傍に居させる。何か言いたい事はあるか?」
  「あの、名前、教えてほしい」
  「そうか、まだ言ってなかったな。クロスだ」
  「クロス さん」
  「あぁ。もう休め、。おやすみ」

 クロスがそう言って、しばらくの間頭を撫でてやればよほど疲れ切っていたのだろう、はすぐに寝入った。
 幼い子供には似付かわしくない、やつれた寝顔はクロスの本部への苛立ちをつのらせる。

  「どっちがアクマだ何考えてやがる。本部のクソ野郎どもが」

 吐き捨てるように忌々しげにクロスが言う。自然とを抱く手に力がこもった。


 の体にほとばしるイレズミはどちらもエクソシストであるクロスに馴染み深いもの。

 黒のイレズミは寄生型のイノセンスを持つ神の使徒特有の証、
 おそらくそれが形を変えての体に染み付いたものだ。

 話を聞く限り、は教団でイノセンスと無理矢理シンクロさせられて幸か不幸か成功してしまったのだろう。
 効を奏した研究員が繰り返しにイノセンスを入れた。

 クロスの見た限り、最低でも2つはイノセンスがの身体を巣食っている。
 今までであれば一人の人間に複数のイノセンスが寄生することはありえないと思っていた。

 だが、伯爵のいった“神に愛されている”という言葉。
 それがのイノセンスを指していると考えてれば、納得もいく。

 は本来なら“咎落”になる運命を変えた、『神の愛で子』だ。
 イノセンスは既にの身体の一部となり切り離すのは不可能になっている。

 あまりに深くシンクロしすぎた。
 が死ねばイノセンスは二度とから離れることはない。おそらく永遠に生き続ける。
 
 “の命”を犠牲にして。
 
 だからといってイノセンスを切り離すことはできない。
 伯爵もそれを悟ったのだろう、のイノセンスを破壊しなかった。

 ―かわりに呪いをかけて。

 赤いイレズミは伯爵に受けた呪いの証
 アクマの印(マーク)であるペンタクル。

 にかけられた呪いは−おそらく“不死”
 森で半年間生き続けたことが何よりの証拠だ。

 黒の教団には戦いの中に有無を言わさず放り込まれ、伯爵からは呪いを受けた。
 何の罪もない子供が。
 教団の私利私欲のために標的にされた。

  「・・・タダで済むと思うなよ」

 伯爵も
 教団も
 これ以上好きにさせはしない。



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